石綿(アスベスト)被害救済のための「新たな」制度に向けての提言 - 大阪アスベスト弁護団

石綿(アスベスト)被害救済のための「新たな」制度に向けての提言

2021.12.13

2021年12月12日、石綿被害救済制度研究会が、「石綿(アスベスト)被害救済のための『新たな』制度に向けての提言」を発表しました。

2006年に制定された石綿健康被害救済法による給付は、国の責任を前提としない「見舞金」に過ぎません。本提言は、この15余年間に、国の責任、使用者企業や建材メーカーの責任が明らかになったことを踏まえ、救済対象や認定基準を改め、労災ないし公健法と同程度の給付内容・水準に見直し、「すき間」と「格差」のない救済制度を求めるものです。

共同代表-下山憲治(一橋大学教授・行政法)/名取雄司(中皮腫・じん肺・アスベストセンター所長)/村山武彦(東京工業大学教授・リスク管理論)/森裕之(立命館大学教授・財政学)/吉村良一(立命館大学名誉教授・民法/環境法)
【研究会事務局】〒530-0047 大阪市北区西天満4丁目3番25号 梅田プラザビル9階 大川・村松・坂本法律事務所 弁護士 村松昭夫(大阪アスベスト弁護団団長)TEL:06-6361-0309

※同研究会が2021年6月16日に発表した「【緊急提言】アスベスト被害の完全救済に向けて-2021年5月17日の最高裁判決と『特定石綿被害建設業務労働者等に対する給付金等の支給に関する法律』の制定を受けてー」はこちらをご覧ください。

※2021年12月12日に開催された「アスベスト被害の完全救済に向けて 石綿被害救済制度研究会の二つの提言に学ぶ学習講演会」(主催:中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会、建設アスベスト訴訟全国連絡会、石綿対策全国連絡会議)の第1部で、研究会の共同代表らが本提言について解説しています(YouTubeで視聴できます)。

○NHK:アスベスト被害救済で格差が 学者らが制度見直し提言

石綿(アスベスト)被害救済のための「新たな」制度に向けての提言(石綿被害救済制度研究会)2021年12月12日(pdf)

【目次】

(1)アスベスト被害の実態と救済制度の現状

1.はじめに

(2)この間の訴訟等における変化

①工場労働者等に関する訴訟上の和解による救済

②建設作業者に関する建設アスベスト訴訟と建設アスベスト給付金制度による救済

③使用者(企業)の安全配慮義務違反による損害賠償

 

(3)新たな制度へ

2.新制度の基本的考え方―「責任」を踏まえた救済制度へ

(1)基本的考え方

(2)多様な「責任」

①法的責任(民事責任)

②法的責任に準ずる責任

③社会的責任

④「公的ないし政策的責任」

(3)アスベスト被害における「責任」主体

ア) 前提

①ばく露の連続性と「責任」

②危険物に関与する者の調査・研究義務

イ) 国の「責任」

ウ) 事業者の「責任」

a. 原料アスベストの生産・輸入事業者やアスベスト製品の製造・販売(輸入)事業者の「責任」

b. アスベスト製品の使用事業者の「責任」

3.新しい石綿被害救済制度の骨格

(1)制度の性格

(2)給付内容・水準

(3)救済対象者・対象疾病・判断基準

(4)費用負担の考え方

①国の費用負担

②原料アスベストの生産・輸入事業者やアスベスト製品の製造・販売(輸入)事業者の費用負担

③アスベスト製品の使用事業者の費用負担

④その他の事業者

(5)他の制度との調整

4.財政試算

5.緊急課題

①建設アスベスト給付金法の速やかな実施と建材メーカーの「対応のあり方」(「責任」を踏まえた負担)を組み込んだ制度の早期実現

②患者と家族の会が要望している治療研究分野への支出の実現

③石綿健康被害救済法制定15年が経過し、また、新たな救済制度の構築が課題となっている段階において、国は、以下のことを行うべきである。

 

【本文】

1.はじめに

(1)アスベスト被害の実態と救済制度の現状

アスベスト被害の「指標」とされる中皮腫の日本における死亡者数は、人口動態統計でその数字が把握されるようになった1995年の500人から、2020年には1605人と3倍以上に増加している[1]

国際機関がまとめたアスベストによる健康影響の最新の知見を要約すれば、中皮腫、肺・喉頭・卵巣がんがすでに国際がん研究機関(IARC)によってヒトに対する発がん性(グループ1)として分類され、咽頭・胃・結腸直腸がん、さらには胆管がん等とのポジティブな関連性も確認されており、世界保健機関(WHO)は、肺がんと中皮腫の罹患リスクの比率を6:1と推定している。がん以外の健康被害としては、石綿肺や胸膜疾患がある[2]。以上のうち、アスベストばく露による中皮腫、肺・喉頭・卵巣がん、石綿肺による世界疾病負荷が推計されているが、2019年に、世界で24万1764人、日本で2万0755人の死亡を引き起こしていると推計されている[3]

アスベストが日本でも労働者だけでなく住民にも深刻な被害を与えていることが明らかになった2005年夏のクボタショックを契機として、「石綿による健康被害者を隙間なく救済する仕組みを構築する」ことを目的に、石綿健康被害救済法が制定された。これによって、労働者災害補償保険法等の労災保険制度と石綿健康被害救済制度のいずれかによる石綿による健康被害者の「すき間のない救済」が実現することがめざされたわけである。しかし、現実にはいまなお「すき間」が存在しているだけでなく、大きな「格差」が生じてしまっている。

「すき間」としては、中皮腫・肺がん・石綿肺・びまん性胸膜肥厚はいずれの制度でも対象とされているものの、良性石綿胸水は現行石綿健康被害救済制度では対象とされておらず、喉頭がん、卵巣がん等はいずれの制度でも対象とされていない(労災保険制度等では、個別に因果関係を立証できれば認定の可能性はあるものの、実績としてなし)。また、中皮腫と比較して、とりわけ肺がんで、いずれの制度によっても救済されていない被害者が多数いると予想される。さらに、制度や手続きの周知徹底の不足による未手続の被害者も存在する[4]

「格差」としては、現行石綿健康被害救済制度と他の制度との間の給付の内容・水準に係る格差が著しい。前者については、実績として、死亡後の救済が遺族に対して特別遺族弔慰金と特別葬祭料合わせて300万円弱であるだけでなく、生存中に救済を受けてその後亡くなった場合の半数以上(52.1%)も、被害者本人に対する医療費・療養手当と死亡後の遺族に対する葬祭料・救済給付調整金の合計額が300万円弱という状況である。300万円弱が事実上、現行石綿健康被害救済制度による給付の基準になってしまっていると言える[5]。これに対して、労災保険制度では、被害者の給付基礎日額(平均賃金)が仮に8000円であったとしたら、休業補償だけで年に約234万円、被害者が亡くなって遺族が3人の場合であれば年に約178万円の遺族補償年金ほかが支給される可能性がある。

この著しい「格差」を正当化する理由は、現行石綿健康被害救済制度が「国が民事の損害賠償とは別の行政的な救済措置を速やかに講ずることにより、石綿による健康被害の迅速な救済を図るため」設けられたもので、救済給付の支給は「健康被害の原因者に代わって被害者の損害をてん補するものではなく…健康被害による経済的負担の軽減を図るべく行われるもの」であり、「救済給付は見舞金的な性格を有している」であるから等と説明されている[6]。費用負担についても、「石綿の使用により経済的利得を受けてきた事業者をはじめとする社会全体で引き受けようとするもの」という説明で、きわめてあいまいなものになってしまっている。

クボタショック後に患者・家族らが求めたものは、「すき間のない救済」だけではなく、「格差のない救済」あるいは「公正な救済」であったが、とりわけ後者は最初から放棄されてしまったため、継続して要望されてきた[7]。完全な補償あるいはより公正な補償を実現するために、裁判や直接交渉等を通じて、加害企業や国から追加的または上積み補償を求める努力が積み重ねられてきた。数は少ないものの、退職後に発症した場合も対象とした企業内上積み補償制度を確立している企業もあり、クボタの旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い制度等もある。

訴訟の動向については後述するが、新たに設立された建設アスベスト給付金制度は、一人親方等も対象とすることによって、労災保険対象者と労災保険特別加入者だけではなく、現行石綿健康被害救済制度の対象者もその対象としている。この給付金制度は、建材メーカーの参加がないことなどの問題もかかえているものの、労災保険制度と現行石綿健康被害救済制度いずれの対象者であっても、格差をつけない平等な給付がなされることになった。ただし、それがかえって労災保険制度と現行石綿健康被害救済制度との「格差」をあらためて浮き彫りにし、問題解決の必要性を強調することになっている。

(2)この間の訴訟等における変化

2005年のクボタショック以降、アスベスト被害について、国や企業に対する損害賠償請求訴訟が相次いで提起された。職業ばく露によるアスベスト被害については、国や企業の責任を認める裁判例が集積し、その結果、当該訴訟の原告以外の被害者の救済も大きく進んでいる[8]。大別すると、以下のとおりである。

①工場労働者等に関する訴訟上の和解による救済

泉南アスベスト国賠訴訟の最高裁判決[9]において、1958年5月26日から1971年4月28日までの期間中に、石綿粉じんばく露作業に従事した石綿工場等の労働者(職務上、石綿工場等に継続的に立ち入り相当時間作業していた労働者を含む)に対する国の責任が認められた。その後、同様の状況にあった被害者について国との訴訟上和解の途が拓かれ、2021年3月末時点で、全国で被害者約1000人が提訴、約800人が和解している[10]。救済対象も、石綿紡織工場、石綿建材製造工場などの石綿製品の製造・加工工場の労働者だけでなく、自動車整備工、築炉工、製鉄所や化学プラント、電車車両製造工場など、石綿製品を使用した多様な職種・作業の労働者に拡大している。

②建設作業者に関する建設アスベスト訴訟と建設アスベスト給付金制度による救済

建設アスベスト訴訟では、1975年10月1日から2004年9月30日までの期間中(吹付作業者は1972年10月1日から)に、屋内作業に従事した建設作業者(一人親方等を含む)に対する国の責任と、概ね1975年頃から屋内作業に従事した建設作業者に対する建材メーカーの責任が確定した。

国との関係では、2021年5月17日の最高裁判決[11]を受けた基本合意により、訴訟係属中の被害者との間で順次和解が成立している。確定判決及び訴訟上和解により被害者約1000人が救済される見込みである。また、未提訴の被害者については、同年6月9日建設アスベスト給付金制度[12]が創設され、行政施策により国から給付金の支払いが受けられることになった[13]。厚生労働省は、既に労災等認定を受けた建設作業者約1万人を含め、今後30年後までの給付金対象者は約3万1000人に上ると推計している。

一方、建材メーカーは最高裁判決後も係属中の訴訟において全面的に争っている。建設アスベスト被害の救済には、国だけでなく、すべての建材メーカーに資金拠出させるべきであり、その補償の在り方は今後の重要課題である[14]。もっとも、すでに最高裁判決によって10社の責任が確定しており、司法救済の道筋はついている。当面は、係属中の訴訟や新たな訴訟の判決によって、建材メーカーとの関係でも救済の進展が期待される。

③使用者(企業)の安全配慮義務違反による損害賠償

多くの裁判例が、1958年ないし1960年頃以降、使用者として、労働者の石綿粉じんばく露対策を怠った企業の責任を認めている[15]。被告企業は、石綿製品の製造・加工業はもちろん倉庫業、運送業、建設業、造船業、電力、自動車、鉄鋼、化学プラントなどあらゆる産業に及んでいる。上記①、②の国や建材メーカーの責任と併存する場合もある。すでに裁判例が集積し、一定の賠償水準が明確になっていることから、訴訟外の交渉ないし訴訟上和解によって、一定数の被害者が救済されていると考えられる。また、既述のとおり退職後に発症した場合も対象とした企業内上積み補償制度を確立している企業もある。 

以上のように職業ばく露によるアスベスト被害については、この15年間余で国や企業の責任が明らかにされ、相当額の慰謝料等の支払いを受けられるケースが拡大している。もっとも、責任期間による限定や建設アスベスト被害において屋外作業者が救済の対象外とされているなどの問題があり、職業ばく露による被害者間でも救済格差がある。また、職業ばく露以外の被害については、加害者を特定しその責任を明らかすることは極めて困難であり、ほとんど救済が進んでいないのが実情である。

(3)新たな制度へ

以上のような動きを踏まえて、上記問題点を克服する新しい救済制度を構築することが必要であり、また、この間の事情はそれを可能とするものとなっている。「すき間」と「格差」のない「新たな」救済制度[16]の確立が喫緊の政策課題になってきている。

その際、「石綿健康被害救済制度の施行状況及び今後の方向性について」平成28 年12 月中央環境審議会環境保健部会石綿健康被害救済小委員会が、「仮に補償制度を新たに構築するのであれば、補償制度とする理論的根拠と、それを踏まえた、他法に基づく制度との調整、費用負担者、対象者、対象疾病とその判断基準等の多岐にわたる論点について再度の検討が必要となる」としていることに留意する必要がある。これに従えば、まず必要なことは、補償制度とする理論的根拠(①)を明らかにすることであり、その上で、具体的な制度設計にあたっては、他法に基づく制度との調整、費用負担者、対象者、対象疾病とその判断基準等(②)を検討する必要がある。以下、これらについて、研究会としての考え方を示したい。

2.新制度の基本的考え方―「責任」を踏まえた救済制度へ

(1)基本的考え方

「環境政策はまず環境被害の責任を明確にして、防止策や救済策を考えねばならない」とされる[17]。特にアスベスト被害の場合、前述のように、国やアスベスト関連事業者の法的責任を認める判決も多数蓄積されてきていることから、現行の制度のような「行政的な救済措置」ではなく、「責任」を基礎に(「見舞金」ではなく)被害者の権利を回復するための制度を構想すべきである。

ただし、その場合の「責任」とは、法的責任(賠償責任)に狭く限定する必要はない。「環境政策というのは、被害の責任を明らかにして、そして対策の主体を明確にしなければいけない。けれども責任には、『社会的責任』、『法的責任』、そしてそれらを踏まえた経済的負担を伴う『経済的責任』があると思います。社会的責任とは、企業などの経済主体がその経済活動によって社会に被害を与えないように予防し、被害を与えたときにはその救済責任を持つということです」とされる[18]

元来、責任の中核である「法的責任」自体が多様な内容を持っていた。過失責任と無過失責任があり、無過失責任を根拠づけるものとしての危険責任や報償責任がある。そして、それぞれにおいて責任を問われる者の範囲や被害発生へのかかわり方は多様であった。法的責任の対極に、いわゆる社会的責任があるが、それにも、社会的存在としての企業が社会に対して負うべき一般的な意味での社会的責任と、その活動によって社会に被害を与えないように予防し被害を与えたときは救済するという意味での、より具体化・特定化された社会的責任[19]がある。そして、この法的責任と社会的責任の間に、主体のかかわり方の程度に応じて多様な「責任」がありうるのであり、「責任」概念を公害・環境問題の多様化に対応して多様化・豊富化させ、それを費用負担原理に結びつけていくという方向をとるべきである。アスベスト被害についても、多様な「責任」の性質と内容・程度に応じた費用負担のあり方を構築していくことが必要となる。

(2)多様な「責任」

アスベスト被害救済の仕組みを考える場合、以下のような多様な「責任」が問題となる。

①法的責任(民事責任)

この責任のポイントは過失(予見可能性を前提とした注意義務違反。ただし、一定の場合には無過失責任も求められる)と因果関係であり、因果関係については、原則として個別的因果関係が要件となるが、民法719条1項ないしその類推による立証責任の転換がなされる。なお、訴訟では個別的因果関係が求められるが、救済制度においては集団としての原因者の行為と集団としての被害が結びつけば、当該集団の「責任」を前提とした制度を考えることも可能である[20]

②法的責任に準ずる責任

危険な物を製造したり危険な行為を行い、同時に、そのことにより利益を得ているものが、予見可能な被害を防止しなかったことにより発生する責任である。東京大気訴訟判決が認めた「社会的責務」(具体化・特定化された社会的責任)がこれにあたる。

この責任のポイントは被害発生の予見可能性(ただし、健康被害の発生レベルの抽象化された被害発生の予見可能性で良い(熊本水俣病判決等の公害訴訟における考え方)。また、予見のための研究調査義務が問題となる)と防止のための義務(何をすべきか)が具体化されていることである。

③社会的責任

現行石綿健康被害救済法の一般拠出については、「すべての事業主等が事業活動を通じて 石綿の使用による経済的利得を受けていることに着目し、報償責任の観点から負担を求めることとしたもの」とされているが、ここでの事業者がアスベストから得ている「経済的利得」は一般的抽象的なものであり[21]、法的責任としての無過失責任を根拠づける報償責任(そこでの「利益」は、例えば、危険な物を製造・販売して利益を得るといった具体的なもの)とは異なり、一種の社会的責任(わが国で事業を営んでいる以上、広く普及したアスベスト製品によって、何らかの「利益」を得ているはずであり、だとすれば、その結果に一定の「責任」を負う)であり、このような意味での社会的責任も救済制度における費用負担を考える場合(現行石綿健康被害救済法の一般拠出金がそうであるように)、問題となる。

④「公的ないし政策的責任」

国の場合、建設アスベスト訴訟や泉南アスベスト国賠訴訟で認められている法的責任(国家賠償法上の責任)のほかに、国民の負託にこたえて、その生活や健康を守るという立場から、アスベスト被害の発生を防止し、国民の健康等を守る、あるいは生じた被害については救済制度を確立し迅速かつ適正な救済をはかるという「公的ないし政策的責任」を負っている。アスベスト被害については、ばく露から健康被害の顕在化までに時間がかかるため、原因者が明らかにならなかったり、顕在化した時点ではすでに原因者が存在しなくなっているという場合もあることから、その場合に被害者を救済する上での国の責任は重い。

(3)アスベスト被害における「責任」主体

ア) 前提

アスベスト被害に対する「責任」を考える場合、次の2点が(アスベストの特質から見て)重要である。

①ばく露の連続性と「責任」

アスベストにばく露する形態としては、a労働関連ばく露(職業ばく露、労働者の家族ばく露等)、b生活ばく露(石綿工場等の近隣・周辺地域でのばく露、吹付建物ばく露等)、c一般環境ばく露(原因が特定または追跡できないばく露)といった多様なものが考えられるが、これらの各ばく露形態には、労働関連ばく露が生活ばく露、さらには一般環境ばく露に広がるといった連続性があることである。したがって、aに対する対策がbやcの防止につながる(逆に言えば、aにおける怠慢がbやcの拡大をもたらした)のであり、aにおける対策の怠慢を指摘する判決は同時に、bやcにおける怠慢を指摘しているとも言えるのである。このことは、aにおいて「責任」を負う関与主体の「責任」は、そこにまで拡張したものと考える余地があることを示している。

②危険物に関与する者の調査・研究義務

アスベストは被害が顕在化するまでに時間がかかることなどから、その危険性について、一般国民はもちろん、アスベスト含有建材を取り扱う建設作業者等においても、容易に認識できず、被害防止措置をとれないという特質がある。

この点、特に国は、調査等による情報をほぼ独占的に有している。また、アスベストは、使用が生活のあらゆる面に及んでおり社会全体での取り組みが必要といった特徴があるので、その危険性について国の調査・研究による解明と情報開示の持つ意味合いが大きい。さらに、国は、アスベスト含有建材の使用を推進してきた。これらの点から見て、国としては、アスベストの危険性について調査し研究する義務がある。さらに重要なことは、①でのべたばく露の連続性から見て、かりに労働現場での危険性が明らかになってくれば、それが一般環境を含め、他の行政分野においても規制や禁止の必要がないのかといった調査・研究義務が生まれることである。

原料アスベストの生産・輸入事業者やアスベスト製品の製造・販売(輸入)事業者には、自己が取り扱い国内市場に流通させる製品の危険性について調査・研究を行い、その危険性が明らかになれば、製品が流通・消費過程で被害を発生させないように、警告・表示(さらには製造・販売や輸入の中止)等を行うべきである。そして、国や製造・販売(輸入)事業者の調査・研究によりアスベストの危険性が明らかになっていけば、アスベスト製品を使用する事業者にも、少なくとも、一定時期以降、自社が使用するアスベスト製品について、消費者や利用者(建設作業者を含む)との関係で、その危険性を調査・研究すべき義務が生じる。

イ) 国の「責任」

労働安全衛生行政については、泉南アスベスト国賠訴訟や建設アスベスト訴訟等で、法的責任(国家賠償法2条の規制権限不行使による責任)が認められている(①の責任)

他の行政分野においても、国民の健康を守るための国の調査・研究義務を前提にすれば、①の責任ないし(少なくとも)②の責任は認められる。労働安全衛生分野でアスベストの危険性が認識可能になれば、(ばく露の連続性から見て)他の行政分野でも、少なくとも調査・研究は行うべきであった。アスベスト製品の普及を推進した国としては、建設省(国交省)、通産省(経産省)などの関係機関の連絡調整をはかることや、内閣(例えば、アスベスト問題に関する関係閣僚の会合等)の調整の下、政府が一丸となって取り組むべき課題と位置付けることも可能であった[22]

さらに、国民の負託にこたえて国民の健康を守るという④の「公的ないし政策的責任」も重大である。 

以上から、国は救済制度に「責任」主体として関与すべきである。

ウ) 事業者の「責任」

a. 原料アスベストの生産・輸入事業者やアスベスト製品の製造・販売(輸入)事業者の「責任」

多くの被害を発生させたアスベスト含有建材のメーカーについては、市場シェアの大きい一部のメーカーの責任が訴訟においても認められてきており(①の責任)、その他の建材メーカーも、個別的因果関係立証の困難さから賠償責任が裁判上確立するには至っていないが、それらのメーカーが製造販売した建材が何らかの程度において建設現場のアスベスト飛散に寄与したことは否定しがたいので、①の責任(少なくとも集団的な①責任)は肯定されよう。なお、建材メーカーの責任が認められたのは建設作業者との関係だが、ばく露の連続性から見て、建材メーカーは、自らが製造・販売する製品の安全性について調査・研究し、その危険性を警告表示すべき義務がある(建設作業者以外の被害についても、少なくとも②責任を負う)。さらに、建材メーカーは、アスベスト建材の製造・販売により利益を得ている(本来の意味での報償責任)。

他の原料アスベストの生産やアスベスト製品の製造・販売事業者も同様に考えてよい。また、輸入業者も、同様に考えられよう[23]。特に、わが国の場合、アスベストの大部分が輸入によるものであったこと、その輸入にあたっては、専門業者や総合商社が、大きな役割を果たしており、そのことが国内におけるアスベスト及びアスベスト製品の流通・使用につながっていること、また、輸入事業者においては、輸入元の鉱山と独占契約を結ぶなどの深いつながりを持った者も多く[24]、それらの事業者は、海外のアスベスト事情やアスベストの危険性について、情報を入手し得る地位に置かれていたことから言っても、その責任は重い。

以上から、原料アスベストの生産・輸入事業者やアスベスト製品の製造・販売(輸入)事業者には、①の責任、少なくとも②の責任があり、救済制度の費用を負担すべきである

b. アスベスト製品の使用事業者の「責任」

国や製造・販売(輸入)事業者の調査によりアスベストの危険性が明らかになっていけば、アスベスト製品を使用する事業者にも、少なくとも、一定時期以降、自社が使用するアスベスト製品について、消費者や利用者(建設作業者を含む)に警告すべき義務、さらには、アスベスト製品を回避する義務が発生するとは言えるのではないか。また、これらの事業者は、アスベスト製品の使用によって利益(現行石綿健康被害救済法の一般拠出における「利益」(一般的抽象的とは異なる具体的な利益)を得ている。

これらの事業者も、アスベスト製品の使用により利益を得ていること、また、ある時期以降(アスベストの危険性が認識されるようになって以降)は少なくとも②の法的責任に準ずる「責任」が認められよう(危険性が具体的に明らかになった以降は①の法的責任も考えられる)

3.新しい石綿被害救済制度の骨格

(1)制度の性格

新しい石綿被害救済制度は、従前のような、「見舞金」ではなく、「責任」原理に基づく制度として、被害者やその遺族の権利と生活を保障し、その費用については、アスベスト被害について多様な「責任」を負う者が、その責任に応じた負担をするものとすべきである。

(2)給付内容・水準

「民事責任を踏まえた」[25]とされる公健法の給付が一つのモデルとなる。

具体的には、以下の給付を柱とする。

 ①療養の給付及び療養費

 ②障害補償費:全労働者の年齢階層別平均賃金の80%を基準とする

 ③遺族補償費:指定疾病に起因して死亡した場合に、その者によって生計を維持していた遺族に対して支給、全労働者の年齢階層別平均賃金の80%を基準とする

 *②と③は併給不可。

 ④遺族補償一時金(③の対象となる遺族がいない場合)

 ⑤その他(療養手当、葬祭料等)

 

(3)救済対象者・対象疾病・判断基準

現行石綿健康被害救済法は、「医療費等を支給するための措置を講ずることにより、石綿による健康被害の迅速な救済を図ることを目的」として制定された経過から、労災保険の石綿関連疾病の認定基準における「石綿ばく露作業従事期間」の年数基準(1年(中皮腫)、3年(びまん性胸膜肥厚)、1年ないし10年(肺がん))は設けず医学的基準のみで判断し、かつ、労災保険に比し厳しい医学基準[26]で判断することが特徴である。

今後、労災保険でも現行石綿健康被害救済法でも救済されない「すき間」(周知徹底の不足による未手続、不認定(認定・判定基準の内容と運用等による)等)を埋めるために、現行石綿健康被害救済法の判断基準を改善する必要がある。国として後述の緊急課題で提言するような調査検討を行うべきであろう。少なくとも「石綿ばく露に起因することの明らかな疾病」について労災保険の対象疾病と同等とすることを前提とし、国際的に科学的知見の得られた石綿関連疾病を広く対象とすべきである。

【対象疾病・判断基準】

①現在の肺がんの認定基準は「石綿肺管理2以上かつ胸膜プラーク」であり、これは、肺がんのごく一部しか認定されない医学的要件である。せめて労災認定基準に準拠し、「石綿肺管理2・3(胸膜プラークなし)で認定」、「胸膜プラークのみで認定」、「広範囲の胸膜プラークで認定」、「労災認定基準同等の石綿小体と石綿繊維で認定」、「石綿作業者の場合は5年間の石綿ばく露のみで認定」等とすべきである。

②現在の石綿肺の認定基準は、「著しい呼吸機能障害」に限定する基準であるが、じん肺法に基づく労災保険にならって、「療養を要する管理2以上の6合併症(続発性気管支炎、続発性気胸、続発性気管支拡張症、肺結核、結核性胸膜炎、原発性肺がん)に罹患している者」を救済対象とすべきであろう。

良性石綿胸水は、現行石綿健康被害救済法の対象疾病とされていない。労災保険同様救済法の対象疾病に追加し、稀なため認定基準を設けず個別検討とすべきであろう。

びまん性胸膜肥厚は、現行の基準を継続することで良いと思われる。

中皮腫は、病理診断だけでなく臨床経過で中皮腫と診断された場合も救済することとし、主治医の意見を尊重し、職歴や居住歴を考慮し、「石綿起因性が疑われる者」に対する救済を行う必要がある。

⑥世界保健機構(WHO)の研究機関の国際がん研究機構(IARC)が、日本研究者も参加して石綿関連疾病と認めた喉頭がん、卵巣がん、後腹膜線維症は新しい石綿被害救済制度の対象疾病に加えるべきである。また、今後IARCが石綿との関連が認めた疾病を直ちに追加することが必要である。

⑦2021年制定された建設アスベスト給付金法では、石綿肺管理2や管理3に550万~800万が支給される予定である。新制度においても、今後の検討の場を設けることが必要である。

【救済対象者】

対象者については、アスベスト被害の特質から見て、救済対象者を制度発足前に発症した者に遡及することが必要である。なお、2021年3月以降、労災時効救済されない事例が発生すること、2022年3月以降、現行石綿健康被害救済法の請求期限切れの事例が生じてくることに対する手当も、新たな「すき間」を生まないための緊急の課題である。

(4)費用負担の考え方

「責任」を踏まえた費用負担とする。

①国の費用負担:国は、法的責任ないしそれに準ずる責任主体として費用を負担すべきである。国には、国民の負託にこたえて国民の健康を守るという公的ないし政策責任もある。また、アスベストの場合、国は、建設資材としてアスベスト含有建材を認め、その使用を推進してきたが、そのような立場からも、生じた被害を迅速かつ適正に救済すべき責任は重い。したがって、その負担割合は、2分の1を下回ることはない。

*残りの部分(2分の1)を、以下の事業者が負担することになる。

②原料アスベストの生産・輸入事業者やアスベスト製品の製造・販売(輸入)事業者の費用負担:これらの事業者は「法的責任ないしそれに準ずる責任」という重い責任を負うことから、その責任にふさわしい費用負担をすべきである。各事業者の負担割合は寄与の程度に応じたものとする[27]。これらの事業者については、過去の事業者を特定することが必要なことから、一定の困難もともなうが、アスベスト業界からの情報、各種の公的資料等からの特定は可能であり、また、制度の具体化にあたっては、国として必要な調査を行うべきである。なお、負担事業者の規模による「すそ切り」は行わないものとする。

③アスベスト製品の使用事業者[28]の費用負担:これらの事業者は、アスベストの使用により利益を受けていること、アスベストへのばく露(従業員のばく露だけではなく、生活ばく露、家族ばく露、環境ばく露等を含む)に寄与していること、そして、アスベストの危険性が認識可能になって以降は、法的責任に準ずる責任を免れないことから、応分の負担をする。その負担割合は、業種別のアスベスト使用量や災害発生率を基準に類別化し、各事業者の使用量の規模等に応じて決めるといった方法が考えられる。

なお、建設業については、零細事業者にあってはアスベスト災害の被害者でもあることから、一定の要件で「すそ切り」を行う(「特定建設業者[29]に限る」といった限定が考えられる)。

④その他の事業者:その他の事業者も、社会的責任[30]を前提に、現行石綿健康被害救済法の一般拠出金給付義務者として負うのと同様の負担をする。

*アスベスト製品使用事業者については、現行石綿健康被害救済法における一般拠出の根拠としてあげられる「およそあらゆる事業主は、石綿の使用による経済的利得を受けてきた」という意味での一般的抽象的な経済的利益とは質を異にする利益を受けていること、アスベストの危険性が明らかになって以降は法的責任に準ずる責任も負うことから、その他の事業者より重い費用負担を負うべきである。この考え方は、国際的に見ても妥当なものである。使用事業者とその他の一般事業者の負担を同じにすることは公平性に欠ける。

(5)他の制度との調整

法的責任が認められる場合は、別に賠償(慰謝料)が支払われる(工場型国家賠償法による賠償や建設アスベスト給付金、個別訴訟での賠償がこれにあたる)。また、個別の和解でこれにあたる賠償がなされることがある。これは当然のことであり、新しい石綿被害救済制度による救済は、これらを妨げるものではない。訴訟や和解に基づく賠償は新制度(および労災補償)に上乗せされるものとなる。2021年6月に成立した建設アスベスト給付金法に基づく「給付金」も、その性質が賠償(慰謝料)である(同法1条)ことから、新制度よる救済に上乗せされるものとなる。その意味で、新制度によっても、給付の「格差」は完全に解消されるわけではない。この「格差」の解消は次の課題となる。

4.財政試算

現行石綿健康被害救済法を公害健康被害補償法(公健法)並みの補償法とした場合、新規認定者に限定すれば、15年間での財源の必要額は、総額5400(±1400)億円程度、年間360(±90)億円程度となると見込まれる(詳細については添付資料を参照のこと)。これを現行石綿健康被害救済法による給付額との差額でみれば、総額3500(±900)億円程度、年間230(±60)億円程度増加するとみるのが妥当である。

アスベストばく露の広がりや認定基準の緩和等によって新規認定者数の水準が横ばいないし増加となる場合には、この金額を上回る補償給付額の増加となる。さらに、本提言における試算では過去の救済対象者の給付額が増加することを考慮外においているため、この増加分を含めると補償給付額はさらに大きくなる。

5.緊急課題

①建設アスベスト給付金法の速やかな実施と建材メーカーの「対応のあり方」(「責任」を踏まえた負担)を組み込んだ制度の早期実現

われわれ石綿被害救済制度研究会は、最高裁判決や建設アスベスト給付金法の制定を受けて、6月16日に、「アスベスト被害の完全救済に向けて」緊急提言を行った[31]。そこでは、まず、給付金法に基づく救済が迅速かつ実効性ある形で行われるために、以下のことが必要だと述べた。

①受給資格を有する可能性のある者に対する個別周知

②立証負担の軽減(請求人が自ら開示請求をして情報を入手せずとも、給付金の支給に関わる調査において、それらの情報を厚生労働省自らが活用すること、また、環境再生保全機構が保有する情報についても、同様に、請求人に負担を負わせずに、厚生労働省が入手して活用する仕組みをつくること等)

③特定石綿被害建設業務労働者等認定審査会のあり方について(「建設アスベスト訴訟全国連絡会」からの推薦による委員を含めること、本法が、「国の責任が認められたことに鑑み、これらの判決において国の責任が認められた者と同様の苦痛を受けている者について、その損害の迅速な賠償を図るため」(同法1条)に制定されたものであるという趣旨や、国会審議において、職種により形式的に「屋外作業従事者」であることを根拠として一律に切り捨てるのではなく、個々の被害者の就労実態に即した認定を行うべきことが確認されていること踏まえた認定の審査を行うべきこと)

これらの点に留意した制度運用が行われるべきである。

さらにまた、建材メーカーについて最高裁において責任が認められたにもかかわらず、給付金法にはその「対応の在り方」が盛り込まれていないという限界がある。また、責任期間も限定され、屋外作業者については救済対象に入れられていない。しかし同時に、国と被害者らとの基本合意では、「被害者に対する補償に関する事項」が「継続的協議」とされていること、さらに、建設アスベスト給付金法の附則2条で「国以外の者による特定石綿被害建設業務労働者等に対する損害賠償その他特定石綿被害建設業務労働者等に対する補償の在り方について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする」とされていることから、国としては、必要な調査も行い[32]、被害者らの声に耳を傾け、真摯な協議・検討を行うべきである。

②患者と家族の会が要望している治療研究分野への支出の実現

この点は、公健法における回復事業への支出などと同様に、新しい石綿被害救済制度には当然に盛り込まれるべきだが、その要望の切実性や緊急性からみて、また、このような措置は、「責任」を前提とした制度でないと実現できないものではない(責任の有無や程度にかかわらず、国として実施すべき)こと、また、そのための財源もある(石綿健康被害救済基金)ことから、新制度の実現を待つことなく、現行石綿健康被害救済制度の中でも、救済法の一部改正によって、早急に実現すべきである。

③石綿健康被害救済法制定後15年が経過し、また、新たな救済制度の構築が課題となっている段階において、国は、以下のことを行うべきである。

1.石綿健康被害の全体像を把握するために必要な疫学調査を実施すること

2.肺がんの認定基準の考え方について、中期的な検討の場を設けること

3.胸膜プラークの検討の場を設けること

4.「一人親方」としての石綿ばく露者や環境ばく露者も含めた健康管理体制(健康管理手帳の交付等)を確立すること

 

【参考図】(略)

 

【資料】

現行石綿健康被害救済法から新補償制度に移行した場合の補償給付額の試算

1.公健法の補償給付の種類・内容を現行石綿健康被害救済法へ適用した場合の試算前提

下記の試算は、aについては現行石綿健康被害救済法の実績値、bからgについては公健法の補償給付項目の規定額に基づき、試算を行っている。

a 療養の給付・療養費→令和元年度の石綿健康被害救済法の「医療費」実績から計算する(環境再生保全機構『令和2年度 石綿健康被害救済制度運用に係る統計資料』2021年、83頁)。

 A 令和元年度医療費:643,272,000円

 B 総件数:23,065件

 C 1ヶ月件数:23,065件÷12ヶ月=1,922件(人)

 D 一人当たり年間医療費:643,272,000円÷1,922人=334,689円/人・年

 E 医療費の自己負担分を2割とすれば、一人当たり年間総医療費は次のようになる。

  334,689円×5=167.3万円/人・年

  療養費:167.3万円/人・年

障害補償費→令和3年度の公健法の「障害補償標準給付基礎月額」の男子平均額を用いる(平均年収から計算されているため、現役世代ほど高い傾向がある)。

  障害補償費:355.2万円/人・年

遺族補償費→令和3年度の公健法の「遺族補償標準給付基礎月額」の男子平均額を用いる(平均年収から計算されているため、現役世代ほど高い傾向がある)。

  遺族補償費:311.1万円/人・年

 ※障害補償費と遺族補償費は併給不可

遺族補償一時金→本一時金は遺族補償費の対象となる遺族がいないケースに支給されることから、本試算では遺族補償費に含める。

児童補償手当→本手当は非認定者が15歳未満の児童の場合に限られるため、本試算では除外する。

療養手当→令和2年度の公健法の「療養手当」の水準を用いる。公健法では通院(4日以上)もしくは入院(1日以上)の発生した月に、その日数に応じて療養手当が支給される。認定されるアスベスト健康被害は肺がんや中皮腫といった重篤な疾患が大半を占めることから、認定患者は継続的・定期的に通院・入院が平均的に生じるとみなし、通院15日以上もしくは入院7日以内の規定額である月額25,700円が常に発生すると仮定して試算する。

  療養手当:30.8万円/人・年

葬祭料→令和3年度の公健法の「葬祭料」を用いる。

  葬祭料:68.4万円/人・回

2.現行石綿健康被害救済法による被害者予測

・近年における日本のアスベスト使用量のピークは1990年前後であり、原則使用禁止は2004年である。

・疾病発症はばく露から平均で30年後とすれば、被害発生のピークは2020年頃となる。

・上記から、アスベスト被害は今後15年継続するとみなす(ただし、その後のアスベスト含有建築物の解体等で被害がさらに続く可能性も十分にある)。

・救済法の新規対象者数は漸減していくことも考えられるため、年間の平均認定者数を割り引く必要を考慮する。

・過去(2006~2020年)の現行石綿健康被害救済法での新規認定者数の実績は年間平均で1044人であることから、年間の新規認定者数を1000人とする。

(本試算では新規認定者数の漸減も考慮し、パターンとして年間の新規認定者数を1000人、800人、600人の3つのケースに分ける)

・年間1000人の新規認定者数が増えていく場合には、15年後には合計人数で1万5000人の被害者数になる(年間800人:1万2000人、年間600人:9000人)。

・年ごとの支給対象となる認定者数は累積していくことから、15年間での累計人数は年間1000人のケースで12万人となる(年間800人:9万6000人、年間600人:7万2000人)。

※かりに認定者が15年未満で亡くなったとしても、医療費・障害補償費は遺族補償費に振り替わるため、ここでは認定者数がそのまま移行していくとみなしてもほぼ差し支えないと考える(障害補償費と遺族補償費はほぼ同金額である)。

参考:令和3年3月末現在の認定者数累計1万480人のうち、生存者は1366人(累計の内訳は、中皮腫8559人、肺がん1715人、石綿肺38人、びまん性胸膜肥厚168人)

3.現行石綿健康被害救済法を新補償制度(≒公健法)にした場合の補償給付総額

(1)15年間の補償給付増額

A 補償給付額

・障害補償費と遺族補償費は併給不可であることから、遺族補償費は生じないものとする。

・葬祭料は別途計算する。

・年間の補償給付額(療養の給付・療養費+障害補償費+療養手当)

  167.3万円+355.2万円+30.8万円=553.3万円/人・年

B 15年間の平均認定者数パターン別の補償給付総額

a 年間1000人(累計12万人)のケース

  553.3万円×12万人=6639.6億円

  ※葬祭料は68.4万円×1万5000人=102.6億円

b 年間800人(累計9万6000人)のケース

  553.3万円×9万6000人=5311.7億円

  ※葬祭料は68.4万円×1万2000人=82.1億円

c 年間600人(累計7万2000人)のケース

     553.3万円×7万2000人=3983.8億円

  ※葬祭料は68.4万円×9000人=61.6億円

(2)現行石綿健康被害救済法による給付総額と新制度による補償給付総額との差額

A 現行石綿健康被害救済法による給付総額

*現行石綿健康被害救済法の医療費+療養手当の合計額158.1万円/人・年を前提とした場合

a 年間1000人(累計12万人)のケース

  158.1万円×12万人=1897.2億円

  ※葬祭料・弔慰金は299.9万円×1万5000人=449.9億円

b 年間800人(9万6000人)のケース

  158.1万円×9万6000人=1517.8億円

  ※葬祭料・弔慰金は299.9万円×1万2000人=355.9億円

c 年間600人(7万2000人)のケース

   158.1万円×7万2000人=1138.3億円

  ※葬祭料・弔慰金は299.9万円×9000人=269.9億円

B 新制度による補償給付総額と現行石綿健康被害救済法による給付総額(葬祭料・弔慰金を含む)の15年間の差額(新制度により増加する額)

a 年間1000人(12万人)のケース

   6742.2億円-2347.1億円=4395.1億円(年平均293.0億円

b 年間800人(9万6000人)のケース

   5393.8億円-1873.7億円=3520.1億円(年平均234.7億円

 c 年間600人(7万2000人)のケース

     4045.4億円-1408.2億円=2637.2億円(年平均175.8億円

 

 

【研究会事務局】

〒530-0047大阪市北区西天満4丁目3番25号梅田プラザビル9階

大川・村松・坂本法律事務所

弁護士村松昭夫(大阪アスベスト弁護団団長)TEL:06-6361-0309


[1] 厚生労働省「都道府県(特別区-指定都市再掲)別にみた中皮腫による死亡数の年次推移(平成7年~令和2年)」(2021.9.10)(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/chuuhisyu20/index.html)。

[2] ILO「労働における有害な化学物質への曝露と結果としての健康影響:グローバルレビュー」(2021.7.7)(https://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/—ed_dialogue/—lab_admin/documents/publication/wcms_811455.pdf)。

[3] 全国労働安全衛生センター連絡会議「【速報】日本のアスベスト(石綿)死は毎年2万人超、世界第3位のアスベスト被害大国-最新の世界疾病負荷推計」(https://joshrc.net/archives/7116)。

[4] 古谷杉郎「隙間なく、より公正・完全な補償・救済の実現のために」環境と公害50巻4号、全国労働安全衛生センター連絡会議「石綿健康被害補償・救済状況の検証(2019年度確定値) 補償・救済累計3万件突破、しかし『隙間ない救済』いまだ-建設業従事者が全体の約半数」(https://joshrc.net/archives/8344)。

[5] 古谷前掲、全国労働安全衛生センター連絡会議「死亡の7割が300万円弱、300万円超は少数のまま-想定を下回る石綿健康被害救済給付の実績」(https://joshrc.net/archives/8957)。

[6] 環境省「石綿による健康被害の救済に関する法律(救済給付関係)逐条解説(改正前)」「目的(第1条関係)」。

[7] 中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会が要望を続けており、2016年に設置された石綿健康被害救済小委員会には委員も出している。

[8] 訴訟類型ごとの裁判例の整理は、伊藤明子「アスベスト被害に対する『責任』-裁判例における到達点-」環境と公害50巻4号(2021年)56頁参照。

[9] 最判平26・10・9民集68・8・799頁、判時2241号3頁。

[10] 和解金額は症状等によって異なり、例えば死亡被害者の場合、慰謝料1300万円、弁護士費用130万円及び遅延損害金が支払われる。

[11] 最判令3・5・17裁判所時報1768号2頁。

[12] 特定石綿被害建設業務労働者等に対する給付金等の支給に関する法律。

[13] 給付金額は症状等によって異なり、例えば死亡被害者の場合、慰謝料1300万円が支払われる。

[14] 石綿被害救済制度研究会「緊急提言 アスベスト被害の完全救済に向けて-2021年5月17日の最高裁判決と『特定石綿被害建設業務労働者等に対する給付金等の支給に関する法律』の制定を受けて-」(2021年6月16日)8頁以下。

[15] 裁判例で認められた死亡慰謝料は概ね2000万~3000万円である。

[16] 「新たな制度」の実現のためには、現行石綿健康被害救済法の抜本的改正と新法の制定の2つの方法があり得る。

[17] 宮本憲一「環境被害と責任論」環境と公害36巻3号(2007年)2頁。

[18] 座談会「責任と費用負担をめぐる今日的課題」環境と公害36巻3号(2007年)における宮本発言(37頁)。

[19] ここでいう「具体化・特定化された社会的責任」は、大気汚染における自動車メーカーの「責任」に関する東京地判平14・10・29判時1885号23頁を念頭に置いたものである。同判決は、(賠償責任を認めなかったものの)「被告メーカーらには・・・大量に製造、販売する自動車から排出される自動車排ガス中の有害物質について、最大限かつ不断の企業努力を尽くして、できる限り早期に、これを低減するための技術開発を行い、かつ、開発された新技術を取り入れた自動車を製造、販売すべき社会的責務がある」としており、同時に、被告メーカーらは、遅くとも昭和48年頃には「膨大な数の自動車が集中し、集積する本件地域の幹線道路である本件各道路において、その自動車交通量の更なる増大に伴い、その沿道地域に自動車排出ガスによる局所的な大気汚染が発生する可能性が高いこと、その沿道地域に居住する住民等が、これに暴露することにより気管支ぜん息等の呼吸器疾患に罹患するおそれがあることについて、予見することが可能であった」と述べている。そこでのポイントは、ぜん息等の被害発生が予見可能であったことと、なすべき責務が有害物質低減技術の開発等と具体的なものであることである。したがって、そこでの社会的責任は、社会的存在としての企業体が社会に対して負う一般的な社会的責任に解消できない「具体化・特定化された責任」であり、法的責任に近いものである。

[20] 公健法は「民事責任を踏まえた」制度としているが、そこでは、民事損害賠償訴訟におけるような「個別の因果関係」は問題とされない。環境再生保全機構「公害健康被害補償・予防の手引(HP)」は、基本的には民事責任を踏まえていることから、指定疾病とその原因物質の間には一般的な因果関係があること、また、汚染原因者が補償給付に要する費用を負担すること、が制度の前提となります。しかし、本制度は行政上の救済制度としての性格を持つことから、民事の領域における被害者救済と異なり、第一種地域に係るものとしては・・・大気汚染と疾病との疫学的な因果関係を前提とし、個別の因果関係は問わないこととし、指定地域に存する汚染の曝露を受け、一定の症状があれば、公害病患者として『認定』することとしています(個別の患者に係わる因果関係の割り切り)」と述べている。

[21] 「建材や自動車部品等の石綿を含有する製品を製造する事業主のみならず、多くの事業主が、石綿を使用した建築物を事務所とし、石綿を使用した自動車を営業車としてきた。また、石綿を含有するセメント水道管を通じて届いた水を資源として使用し事業活動を行っていることを考えれば、およそあらゆる事業主は、石綿の使用による経済的利得を受けてきたものと考えられることから、労働者等を使用するすべての事業主から費用を徴収することとしたものである」とされている(石綿健康被害救済制度の在り方について(二次答申)「今後の石綿健康被害救済制度の在り方について」平成23年6月中央環境審議会)。なお、同答申は、同制度の費用負担は、原因者と被害者の個別的因果関係を問わず、社会全体で石綿による健康被害者の経済的負担の軽減を図るという制度の趣旨にかんがみ、事業者、国、地方公共団体のそれぞれが拠出していると述べている。

[22] 環境省は、平成17年の「過去の対応」についての「精査報告」において、1980年代においては、「完全な科学的確実性がなくとも、深刻な被害をもたらすおそれがある場合には対策を遅らせてはならないという考え方(予防的アプローチ)が、環境省においても、社会全体においても浸透してこなかった」とし、この時期に対策がなされなかったとしている。しかし、アスベストの発がん性が国際的に明らかになったのは1972年であり、労働安全衛生行政では対策が(不十分ながらも)採られ始めていた(1975年には吹き付けアスベストの原則禁止)ことから見て、また、ばく露の連続性から見て、環境行政分野でも、この時期から、少なくとも、調査・研究を(労働省(当時)などと協力して)行うべきであった。

なお、建設アスベスト訴訟大阪1陣高裁判決は平成3年(1991年)には、国は石綿建材の製造を禁止すべきだったとしているが(大阪高判平30・9・20判時2404号269頁)、これによれば、この時点で製造を禁止すべきほど被害発生の危険性が高まったということであり、そうであれば、その時点で、国として(行政分野の壁を越えて)使用済みの石綿建材の実態調査等を行うべきであったことになり、国の責任はより重大である。

[23] 大塚直教授は、現行石綿健康被害救済法の問題点を指摘したうえで、アスベスト製品の製造・販売事業者の集団的原因者負担と国の責任(法的責任)を前提とした原因者としての負担、それらによる給付内容の改善という方向を示している(「石綿健康被害救済法と費用負担」法学教室326号(2007年)71頁以下)が、そこでも、輸入業者の負担を考えている。ちなみに、製造物責任法は、製造物責任主体としての「製造業者」には「輸入した者」を含むとしている(同法2条3項1号)。アスベストについても同様に考えてよい。

[24] アスベストと商社の関係については、中皮腫・じん肺・アスベストセンター編『アスベスト禍はなぜ広がったのか』(2009年、日本評論社)第6章(117頁以下)参照。同書128頁には、各国鉱山等と輸入業者の関係についての一覧表がある。

[25] 公健法は「民事責任を踏まえた」制度としているが、そこでは、民事損害賠償訴訟におけるような「個別の因果関係」は問題とされない。<環境再生保全機構・公害健康被害補償・予防の手引(HP)>では、基本的には民事責任を踏まえていることから、指定疾病とその原因物質の間には一般的な因果関係があること・・・が制度の前提となります。しかし、本制度は行政上の救済制度としての性格を持つことから、民事の領域における被害者救済と異なり・・・個別の因果関係は問わないこととし、指定地域に存する汚染の曝露を受け、一定の症状があれば、公害病患者として「認定」することとしています(個別の患者に係わる因果関係の割り切り)」と述べている。そこでは、大気汚染物質と呼吸器系疾患の「一般的因果関係」を前提とした一種の「集団的責任」が念頭に置かれている。

[26] 現行石綿健康被害救済法は、労災保険が認めた「石綿肺がんの6つある複数の医学的基準」を「一つの厳しい基準」に絞り、「石綿肺の6合併症」を「一つの厳しい基準」に絞り、2006年から15年間極めて限定的救済しか行わなかった。そもそも、労災保険の石綿関連疾病の認定基準も全て妥当とは言えず、特に石綿肺がんの労災認定基準が現実の被害を十分補償出来ていないとの意見が多い。加えて、現行石綿健康被害救済法の認定基準は労災保険の石綿関連疾病の認定基準と比べ余りにも限定的であり、せめて、労災認定基準相当程度に変更すべきとの医師等の意見も多い。

[27] 個々の事業者とアスベスト被害の因果関係を正確に把握することは困難なことから、公健法において、個々の排出量をもって大気汚染に対する寄与度とみなし、健康被害に対する寄与度とするという「制度的割り切り」をしていることにならって、これらの事業者のアスベスト使用量に基づいて拠出額を算定すべきである。その際。アスベスト製品の製造・販売量、期間、種類などの要素を総合的に考慮し、いくつかのランクに区分して拠出額を設定することが考えられる。

[28] アスベスト含有製品の産業別使用量のデータによれば、建造物材料が多くを占め、その他では、自動車部門や産業機械・科学設備などの部門の使用量が多い。これらの産業部門の事業者は、アスベスト製品の使用事業者として応分の負担をすべきである。

[29] 「特定建設業」とは、発注者から直接工事を請け負った際に、1件の建設工事(元請工事)につき合計額が4000万円以上(建築一式工事の場合は6000万円以上)の工事を下請に出す場合、取得が義務付けられている許可を受けた建設業者を指す。

[30] 既述のように、「石綿健康被害救済制度の在り方について(二次答申)」中央環境審議会は、一般拠出について、「およそあらゆる事業主は、石綿の使用による経済的利得を受けてきたものと考えられることから、労働者等を使用するすべての事業主から費用を徴収することとしたものである」としているが、これは一種の社会的責任として費用負担を根拠づけるものである。

[31] 緊急提言については、労働法律旬報1993号42頁以下参照。

[32] 建設アスベスト給付金法の国会審議では、国によるアスベスト製品の製造・販売量等の調査の必要性が委員から指摘されたが、国として必要な調査を行うことは、同法を施行する国の責任である。

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