川崎重工業兵庫工場(鉄道車両艤装作業が行われた工場建屋内)での間接ばく露被害について初めて国との和解成立
2022.01.132021年12月9日(木)、川崎重工業兵庫工場で働き、石綿被害に遭った被害者の遺族が国に賠償を求めた訴訟について、大阪地裁で和解が成立しました。鉄道車両の艤装作業が行われた工場建屋内で間接的に石綿粉じんにばく露したことによる被害についての国との和解としては、初となる案件でした。
被害者は、1966年1月から1979年4月までの間、川崎重工業兵庫工場で働き、同社を退職してから約29年後の2008年3月に悪性胸膜中皮腫を発症し、約9年間に及ぶ闘病の末、2017年4月に71歳で亡くなった男性です。
被害者は、川崎重工業兵庫工場での鉄道車両の艤装作業に従事した際に、石綿粉じんにばく露したということで、労災認定を受けていました。しかし、被害者が川崎重工業兵庫工場に入社した1966年1月から国の責任期間の終期である1971年4月までの間において、被害者は、同工場の倉庫課に配属されており、鉄道車両の艤装作業には従事していませんでした。そのため、労災認定では、上記の期間内において被害者が石綿粉じんにばく露したとは認定されませんでした。
2019年9月、遺族が当弁護団のホームページを閲覧し、当弁護団に相談され、被害者の元同僚でもあった被害者の妻からの聞き取りにより、1966年1月から1971年4月までの間において、被害者が倉庫課での業務のために鉄道車両の艤装作業が行われた工場建屋内に頻繁に立ち入っていた事実が判明し、国の責任が認められる可能性があると判断。2020年7月に遺族が原告となり、大阪地裁に提訴しました。
裁判では、国から、川崎重工業兵庫工場での鉄道車両の艤装作業における石綿粉じんの発生状況のほか、1966年1月から1971年4月までの間において被害者が従事した作業内容等、被害者の石綿ばく露実態を明らかにするよう求められました。
これを受けて、川崎重工業兵庫工場に対しては、2度にわたって弁護士会照会を行いました。また、弁護士会照会での同社の回答内容について、何度か電話照会を実施しました。さらに、被害者の元同僚でもある被害者の妻の友人の協力も得て、弁護士会照会に対する川崎重工業兵庫工場の回答内容なども確認してもらいながら、1966年1月から1971年4月までの間において被害者が従事した作業内容等、被害者の石綿ばく露実態に関する陳述書を作成しました。これらに加え、昭和30年代や昭和40年代当時に発行された局所排気装置に関する資料などを元に、ばく露実態や局所排気装置の設置により石綿粉じんばく露を防止することができたことを主張立証しました。これが奏功し、国が和解に応じ、慰謝料約690万円(被害者の生前に川崎重工業から補償が行われていたことが考慮されています。)、弁護士費用約69万円の合計約759万円が支払われることになりました。
本訴訟の和解により、他の業務に従事するに当たって鉄道車両の艤装作業が行われた工場建屋内に立ち入り、石綿粉じんに間接的にばく露した被害者にも、石綿工場型の国との和解の可能性があること明確になりました。川崎重工業兵庫工場に限らず、他の会社で働いていた被害者にも工場型和解の要件に当てはまる方がおられると思います。この和解をきっかけに被害者の救済が広がることを期待します。
(執筆担当者:弁護士 西本哲也)
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